「……と、いうわけだ」

「嘘だ。そんなの嘘だ! 嘘だぁ……」

祐也が目に涙を溜めて、同じ言葉を訴え続けている。

瞳には絶望の闇。

一体どんな精神攻撃をしたのかと疑われそうだが、俺のしたことは至ってシンプルである。

「サカハギ……これは、まさか」

ようやく事情を呑み込めたシアンヌが戦慄する。

単純でありながら、運命の悪意に満ちた真相に。

「見ればわかるだろ。こいつは知らなかったのさ。ニコポチートが女を奴隷化する能力であることどころか、自分自身がそんなチートを持っていたことすら、な」

そう、俺は動けない祐也に催眠魔法で「俺の言葉を真実と確信する」という暗示をかけた上で、がっつりとニコポチートの説明をしただけなのだ。

考えてみてほしい。

そもそも石動祐也は女を自我のない奴隷にして愉しめる変態野郎だったのか、と。

確かに3人一度に相手にしたり、中二病をこじらせてクサいセリフを吐いたりしたし、俺に糞みたいな説教かましてきたりもした。

だけどそれくらいなら、俺に言わせればちょっとばかし性欲の強い男子の範疇に納まる。

中身空っぽのチープな正義や、受け売りの真理をまるで自分の言葉であるかのように振りかざす……本当にどこにでもいるガキだ。

そう、できるはずがない。

平和な日本で暮らしていたまともな人間がニコポチートの真の効果を知った上でひとりの人間を奴隷人形にするなんてこと、サイコパスでもない限り不可能だ。

というか、もし祐也が能力の正体を知った上で好き放題している女の敵だったなら、最初の段階でシアンヌを止めずにけしかけていただろう。

裕也がそうであるように、ほとんどのハーレム成功者はそうと知らずにニコポチートを発動させ、女を言いなりの奴隷にしている。

これが俺が見てきた異世界ハーレムの、本当にごくごくありふれた真実なのだ。

「ひどいよ、ユウくん!」

「ひどいです~」

さすがナデポで洗脳されてるシーフ子ちゃんにプリ江さん、容赦ない。

「う、そ……だ……」

ああ、祐也の目からハイライトが完全に消えちゃった。

「……っく。だまされないで、みんな!」

フィリーが俺に向かって杖を構え、果敢に吠える。

どうやらザドーの無音魔法が切れたらしい。

とはいえ射線上に仲間がいるからか、迂闊に魔法を撃って来ないでいる。

「全部作り話。そいつの嘘。だって、私は……!!」

それでもやらせまいとフィリーが懸命に、強い意志を込めた瞳で俺を睨む。

「お前、まさか……」

シアンヌが何かに気づいたようにフィリーを見つめた。

なんかあるのか? まあいいや。

「嘘かどうか、その身で味わうといいさ」

俺が何のためにフィリー、キミをナデポせず残しておいたと思う?

「鑑定眼起動」

祐也とフィリーを結ぶ同期線を視認する。

こいつを魔力波動を纏わせた手で掴むと、祐也とフィリーの体がビクンと震えた。

「いいことを教えてやる。ニコポチートは一種のウイルス感染だ。心のデータを上書きして邪魔な自我を消去する。だけど脳から消された記憶は霊体に、心は魂にしっかり刻まれてる。つまりバックアップが残ってるんだよ。とはいえ荒療治だぜ? 覚悟しろよ……『電流操作』!」

「ぎぃっ!?」

フィリーの体が跳ねた。

魔力を纏わせた電流を同期線に通して、脳の電気信号に直接干渉しているのだ。

シナプスを通じて脳の記憶を司る器官……海馬に司令を送る。魔力を伴った電気信号はそのさらに奥、霊体に刻まれた記憶にまで到達した。

「見つけた、これだな」

鑑定眼を通して送られてくる無数の情報を精査し、霊体を傷つけることなく眠っていた記憶を脳に引っ張り出した。

緻密な作業だから時間がかかるが、この手の「手術」なら手慣れたもんだ。ミスは有り得ない。

無事に手術を終えたことを確認してから、手刀で同期線を切除した。

解除するだけならこれだけでいいんだけど、記憶を取り出さずに同期線を斬るとショックで霊体が破壊されて廃人になっちまうからな。

気絶して地面に倒れ込むフィリーをシアンヌが咄嗟に抱きとめ、地面に横たえる。

へえ、らしくもない。

さっきもなんか変な反応してたけど、思うところでもあったのかな。

まあいい、俺は自分の用を果たすまで。

「さて、裕也。フィリーのニコポを解除したわけだが。実を言うと洗脳されていたときの記憶は残ってるんだよ。となると……目覚めた彼女はお前に何をすると思う?」

「あ、ああ……嘘だ……」

グシャグシャになった顔にもはや生気はなく、俺の言葉を聞いているかどうか定かではない。

構うことなく告げる。

「もちろん復讐するに決まってるよな」

もともとザドーとフィリーは仲のいい兄妹だったという。

そこに割って入って妹を改(・)心(・)させて兄を裏切らせた挙句、その清らかな身体(からだ)を毒牙にかけたとあっては……もはや議論の余地はない。

有罪も有罪、死刑に決まっている。

そう。

最愛の妹に引導を渡させることにより、ザドーの復讐をも果たさせる。

これこそ俺の思い描いた脚本だ。

とはいえ祐也の様子を見る限り、しばらく現実逃避し続けるだろう。

だからフィリーが起きるまで待ってからザドーの麻痺を解いて、今度こそ高みの見物を決め込もう……そう思っていたとき。

「知らなかったんだ。知らなかった」

「……あ?」

いつの間にか祐也の繰り言が変化していた。

俺の足元で、何かにすがるような視線を彼方へ送っている。

「僕が笑ったら、みんな優しくしてくれて。僕のことを褒めてくれて。嬉しかったんだ、嬉しかったからもっと笑えばみんな良くなっていくって、そう思って……僕はみんなのためを思ってずっと笑ってたんだ。でも洗脳してたなんて。みんなの心を殺してただなんて、本当に知らなかったんだ。だから――」

誰もいない虚空に向けて、祐也はニッコリ笑ってこう言った。

「――だから僕は、悪くない」

……ああ、そうかよ。

それが石動裕也の正体ってわけか。

仲間のためとかほざいておきながら……お前、結局最後には自分の心だけを守るんだな。

「わざとじゃなかろうが、やられた方の知ったことじゃない。された相手にとっちゃ復讐するに足る理由だ」

ツッコミ入れるのも馬鹿馬鹿しいと思いながら、ついつい口出ししてしまう。

……だけど、それがまずかった。

「復讐……?」

相変わらず、その目には何も映っていない。

焦点が合っていないまま首だけをこちらに向けてくる。

顔には、はり付いたままの笑顔。

「復讐なんてやめてください。そんなことをしても、誰も得しませんよ」

……あぁん?

「復讐っていうのは連鎖するんですよ。ずっと続きます。どこかで断ち切らなきゃいけないんです」

「……へぇ、それで?」

先を促しながら、何故だか俺も笑顔になった。

「絶対に復讐を終えたとき虚しくなるはずです。何も残らないどころか、それでも心が燻り続けると思うんですよ」

「…………ふーん。お前も実際にそうなったのか? それとも復讐したいヤツの気持ちを想像したのか?」

例えば自分を殺そうとしたザドーのこととか。

正気に戻った後のフィリーのこととか。

少しでも考えたのかと問いかける。

だが祐也は余計に気持ち悪い笑みを深くして、こう答えた。

「はは、そんなわけないじゃないですか。僕は復讐なんて考えたこともないんですから」

「だったら、わかったような口利いてんじゃねえ」

頭蓋を踏み砕きたい衝動を何とか堪えながら、殺意だけは込めて見下す。

「常識や良識で俺(・)ら(・)のこと一括りにするな」

わかってない。

こいつは。

いや、こいつら(・)はわかっていないのだ。

奪われることの痛みを。

身を焦がされるような炎の熱さを知らない。

だから、復讐なんて意味がないなどとほざく。

ミステリードラマの主人公が崖の先端になった連続殺人事件の犯人を、そんなチープで軽くて上辺だけの良識で説得できると思い込んでいやがるのだ。

本当の復讐鬼は言葉なんかじゃ揺らがない。

他人の言葉で消える復讐心は偽物だ。

もしその炎を消せる者がいるとしたら、それは同類の、同じ痛みを知る復讐鬼だけだ。

なあ、祐也。

お前も家族や恋人、それどころか人生を奪われてみろ。

くだらない戯言は口が裂けても言えなくなる。

いっそ俺を恨んでみろ、そうすればわかるぞ。

憎悪が連鎖する?

いいじゃないか。

何がいけない?

殺して殺され、それが地球でも異世界でも人類共通の歴史だろ。

当たり前、むしろ自然の摂理だ。

恨んでいいし、晴らしていいんだよ。

復讐を果たせば虚しくなって空っぽの抜け殻になる?

そりゃそうだ。

人生最大の目的を果たしたんだから、その後なんてない。

何なら刑に服すなり、社会奉仕に生きるなり、無為に過ごすなり……最後は自分なりにケジメをつけりゃいい。

「……何を言ってるんですか?」

だから祐也、その先は言うな。

俺たちの心の敷居を軽々しく踏み越えてくるんじゃない。

「復讐なんて、絶対に間違ってるに決まってます!」

わかっている、言われなくてもわかってる。

だからこそ、お前のようなヤツに知ったような口を叩かれるのだけは我慢ならないんだ。

「復讐なんて、考える方が悪なんですよ!」

…………そいつを聞いた瞬間、俺の中で眠っていた獣が目を覚ました。

「……はっ、上等だ」

誓約失敗だろうが、知ったことか。

ザドーのヤツでも適当に血祭に上げて、ふたり仲良くガフへ送ってやる。

いや、むしろこれだけ苦痛を与えたんだから俺が殺しても誓約達成か。

はは、そりゃいいや。

「なら、潰れたトマトみたくなって死ねよ、ガキが」

俺もコイツに復讐しよう。

こんな気分にさせられた報復をしよう。

きっとスッキリする。

自分の中の昏い炎に身を任せて祐也の頭を踏みつけようとした、まさにそのとき。

「やめろ、サカハギ!」

凛、とした声が響いた。

何故だか、沸騰していた頭が瞬く間に冷える。

水をぶっかけられたみたいに憎悪の炎が消沈したのだ。

「そいつのことは殺すな!」

声のした方を向くと、シアンヌが厳しい表情でこちらを見ていた。

「その男に復讐したい者がいるなら。その者が引導を渡すべきだ」

シアンヌも俺と同じ炎を胸に抱えてるはずだ。

そいつを飲み込んだ上でそれを……いや、だからこそ言えるのか。

「……わかったよ」

確かに。

俺に父親を殺されたシアンヌがそこまで言うんだから、俺がコイツを殺したら駄目なんだろうな。

よくよく見れば祐也は虚空に向かって意味不明な念仏みたいなのを唱え続けている。

最初から俺のことなんて見ちゃいなかったのだ。

ずっと自分の中の何かに向かって言葉を綴っているだけ。

俺に言い返したのですら、ただの反射行動だったらしい。

「ああ、本当。馬鹿みたいだな」

自嘲気味に笑いながら、俺は盛大にため息を吐くのだった。

その後、俺はダンジョンを出た。

なんだか復讐を見届けるような気分じゃなくなったからだ。

シアンヌにニコポチートは麻袋を被せるだけで簡単に防げるから好きにしろとフィリーに伝えるよう言って、先に地上に上がったのである。

シーフ子ちゃんとプリ江ちゃんにも手術を施したので、じき正気に戻るだろう。

大して待たされることなく、シアンヌが魔法陣から姿を現した。

「よう」

「ああ」

俺が手を上げて出迎えるとシアンヌが軽く頷いた。

そして後ろ髪惹かれるように転送魔法陣を見つめる。

「どうなったかな」

「さあな。でも……おっ」

足元が輝く。

例によって、いつもの召喚陣のご登場だ。

「誓約達成。ザドーの復讐は成ったってわけだ。うーん、誰が殺ったのかな」

結局、祐也を殺したのは誰だろう。

やはり愛する兄を裏切らせられたフィリーだろうか。

それとも麻痺から回復したザドーだろうか。

あるいは仲直りした兄妹が、仲良く祐也の心臓を抉り出したのだろうか。

シーフ子ちゃんとプリ江ちゃんも交えて仲良く「死の4P」も捨て難い。

俺が悶々としていると、シアンヌが何故かさわやかに笑う。

「私は……あの男は殺されていないと思う」

「へ? どうしてそう思うんだ?」

あまりにも突飛な意見に、思わず素で聞き返してしまった。

「私がお前を殺せない理由と同じだ」

「はあ?」

ますますわからない。

俺を殺せないのは、お前さんの力が足りないからだろうに。

どう考えても祐也の場合はまな板の上の鯉だったじゃないか。

共通点なんてひとつもないはずだけど。

やれやれと両手を広げて首を振ると、シアンヌが確認するように聞いてきた。

「ニコポチートから解放されても、洗脳されていた間の記憶は残る……そうだったな?」

「ああ、間違いない」

「だったら、あの男は死んでない」

うーん?

なんだろう、謎かけだろうか。

「だったらどうしてザドーの復讐が成立してるんだよ」

「それはもちろん『ざまあみろ』と思えるようなことが、あの男の身に起きたからだろうさ」

ヒントをもらうつもりの問いかけだったのに、ますます謎が深まったなぁ……。

でもまあ、誓約達成なんだしどういう結果になってようが次の異世界では関係ないか。

いつもどおり忘れて気楽に行こう。

というか、なんでシアンヌは召喚陣が出てるのにそんな離れた場所にいるんだ。

少しセンチな顔してるし。

「おーい、離れてたらまた置いてくぞ」

俺の呼びかけにシアンヌがハッと顔を上げた。

「私は不合格じゃないのか?」

「ん?」

「誓約達成までに本気の殺意を向けろ、だろう?」

あー、そういや言ったっけ。

でも不合格も何も、テストじゃないし。

「いいから早く来い」

手を伸ばす。

前みたいに抱き着いてくるかと身構えたが、シアンヌは意外と素直に俺の手を取った。

まったく迷いのない動作で、俺の方が虚を突かれたぐらいだ。

「サカハギ……私はひょっとしたら、復讐を諦めてしまうかもしれない」

普段聞かないシアンヌのか弱い響きの声に女を感じて、思わずドキッとする。

その瞳が何かを訴えるように俺の目をまっすぐ射貫いてきた。

「そうならないように強くなりたい。そのためにお前と一緒に行くというのでは……駄目か?」

……ああ、なんていうか。

「合格だ」

「え?」

「馬鹿は俺の方だったって話」

頭の上にハテナマークが浮かべるシアンヌに、俺はいつものように肩を竦めてみせる。

「お前は俺が祐也を殺そうとしたとき、声だけで止めたんだぞ。合格に決まってる」

そう、復讐鬼を止められるとしたら、それは復讐鬼の言葉だけ。

俺の持論でしかないがシアンヌは見事にやってのけた。

ならばそれは、本気の殺意に匹敵する復讐鬼の証明ではあるまいか。

そんな俺の心は露知らず。

しばしの間、ぽかーんと口を開けていたシアンヌだったが。

「……そうか!」

力強い返事とともに、俺の手を強く握り返してくる。

そして、憎しみの一切籠っていない……まるでスポーツマンが選手宣誓するように曇りない瞳で、こう宣言したのだ。

「見ていてくれ、サカハギ。いつか必ず、お前を殺せるようになってみせるからな!」

そこにはもう、出会った頃のシアンヌはいなかった。

無意識にデレているどころの話ではない。

それどころか、俺が考えていた以上の成長を果たしていた。

「ああ、首を洗って待ってるぜ」

シアンヌの吸収は異常に早い。

俺と同じ目線に立つのも、そう遠い未来じゃないだろう。

「あ」

声のした方を見ると、フィリーが転送魔法陣から出てきていた。

他の誰も続いて出てこない。フィリーだけだ。

しばしフィリーは無言のまま突っ立っていた。

だけど、シアンヌが何故かいきなりグッとサムズアップすると。

フィリーまでもがサムズアップして、ウインクまで返してきたのた。

わけがわからないよ。

「お前ら、俺がいない間に何話したわけ?」

声を潜めて訊ねると、クルッと振り向いたシアンヌが悪戯っぽく微笑んだ。

「秘密」

……ああ、なんてこった。

俺の知っていたニコポチートは偽物だった。

これが本物だったんだな……。

そんな益体もないことを考えながら、俺の意識は光に飲み込まれるのだった。

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