この宇宙に生きる者は誰しも、欲を抱えて生きている。

俺の師匠に「生きることは欲することと同じ」といわしめる程度に、生き物は欲望と無縁でいられない。

だからこそ、あらゆる世界で願いを叶えてくれる存在……俺の同業者が伝説として語り継がれることになる。

例えば邪神の眷属。

魂と引き替えに願いを叶える存在だ。

ほとんどの世界で悪魔と呼ばれているが、ただのモンスターとか魔族とかのよく似た別物もいたりするから、俺は区別するために邪神の眷属とそのまま呼んでいる。

他にも代表的な例を挙げればきりがない。

一定数集めると願い叶えてくれる存在を召喚できるゴッドコーラー。

邪神の眷属でもないのに奇跡と引き替えに魂以外の悪辣な契約を強いるエッグメイカー。

バトルロイヤルの最後の生き残りの願いを叶える純エネルギー体、ネオライフ。

その世界独自のマイナーなものも含めれば、俺の同業者は無限に存在するのだ。

しかし同業者の中でもっとも有名なのは、やはりランプの魔神だろう。

ランプをこすると3回だけ願いを叶えてくれる魔神。地球発祥の伝説だけあって各異世界においてもコピペ……もとい同様の存在や文献が散見され、現に俺もいくつかの魔神入りのランプを所有している。というか解放した魔神のうち1柱は俺の嫁だったりするしな。

何が言いたいかというと同業者の伝説は俺の仕事にも無関係じゃないってことだ。

「本当にどんな願いでもいいんだな!?」

だから目の前で興奮のあまりに目が血走ってるオッサンが次に何を口走るのか、手に取るようにわかる。

「叶える願いを100個にしろ! できないとは言わせないぞ!」

ほーら、やっぱりだ。

来ると思ったよ。

「俺は決めてたんだ。もし魔神が俺の前に現れたら、願い事を増やそうってな!」

そう。

同業者の伝説が異世界にも広まれば、欲深のクズ野郎が事前に予習できるってわけ。

今回のようなクズラッシュに巻き込まれると、この手の願いを要求してくる阿呆の比率が急激に上昇する。

どんな願いでもひとつだけ叶えられるとしたら「願い事を増やす」という願いも叶えられるのではないか? このジレンマを願いのパラドックスというらしいけど、詳しい話は脇に置いておくとして。

ちなみに願いを増やすことができるのか、と言われれば当然できない。

何故なら誓約者の願いを叶え終えた時点で俺は自動的に別の異世界へと召喚されてしまうからだ。

例外はそれこそガキどもの「ずっと一緒に遊んでほしい」みたく些細で明確な期限を設けようのない願いだけ。

召喚と誓約のルールに真正面から抗うのは不可能だ。

しかし、願いを増やせという願いが俺にとって不都合かと言うと、そんなことはない。

むしろ絶好のカモである。

だから俺は、こう問い返すのだ。

「願い事を増やす……それはお前が心の底から望む願いなんだな?」

「ああ、そうだ! 間違いない!」

はい、一丁上がり。

これで男の願いを「願いを付け足すこと」に確定させた。

「では誓約しよう。逆萩亮二は叶える願いの数をゼロにする」

ーー召喚者の要請を破棄。代理の誓約を受け付けました。

呆気にとられた男が口を開く前に、俺は次の世界へと召喚されるのだった。

はは、ひっかかったひっかかった!

確かに願いを増やすことはできないさ。

だけど、願いを増やしたいという要求に対しては代理誓約を立てられたりするんだよ。

矛盾する?

んなこたぁない。

だって代理誓約は本来、俺が願いを叶えることが不可能なときの逃げ道として設定されているんだからな。

「不可能な願いの反対の何かを叶えることで代用できるよ!」

というのがクソ神の建前だけど、もっぱら俺が気にくわない奴を出し抜くために使用してる。

クソ神側の本来の狙いも間抜けな誓約者を眺めて嘲笑うことだと思うけどね。

もっとも願いをゼロにするっつー代理誓約を成立させるためには、いくつか条件があって。

「願い事を増やすのが、アンタの中で確かな願いか?」

「む、それは……」

俺を召喚した魔術師風の男は少し考えるそぶりを見せた。

この質問に迷いを見せるということは、叶えたい願いが本人の中で書き換えできないほどに大きいということ。

そうなると願いゼロの代理誓約は成り立たず、俺はサボることができない。

「まあ、願いを増やせないかっていうのは、駄目もとで言ってみただけなんだ。私の願いは大きく分けて2つあってな。どちらを叶えるべきか迷っているんだよ」

「とりあえず両方言ってみ」

「この世界の人々を救うために魔王を倒すための鍵となる虹色結晶を手に入れるために勇者が必要だと言っている賢者の石を私が完成させるべきか、あるいはこのハゲを治すべきか……」

このケースではチート育毛剤のおかげでさっくり解決することができたわけだが、自分の願いの強さに無自覚な連中の願いはとりあえず片っ端から叶えてやることにしている。

グダグダするより、その方が手っ取り早いし。

同業者の伝説を知ってる奴が願いを増やしたいって発想に至るのは人間なら至極健全な欲深さだと思うし、恩恵を受ける俺に文句はない。

だけど同業者が何故……そしてどのように自分の願いを叶えてくれるのか。そういうところに考えが及ばない奴は都合良く利用されるだけで終わると理解した方がいい。慎重にならないと、さっきのオッサンみたく足を掬われることになるだろうからな。

例えば邪神の眷属なら召喚者の魂を手に入れるのが目的だから願い事を増やしたりなんかしたら契約によって魂を余分に取られる羽目に陥るだろうし、バトルロイヤルの勝利者が得られるネオライフは参戦者の魂を燃料にしてることが多いから複数の願いを叶えると間違いなくガス欠になるだろうし……つーか、実際なったしな。

同業者の知り合いの中でもぶっちぎりにヤバいのは『願望の高利貸し』だ。アイツは喜んで願いを増やしてくれる。それこそ無限の願いを叶えてくれるだろう。しかし代償に何を支払うことになるか……わかる奴にしかわからん例になるけど、エッグメイカーと契約して魔法屍妖女(まほうしょうじょ)になった者に訪れる最期よりも更に酷い、とだけ言っておこう。

推して知るべし、である。

そして俺の場合は見ての通り。

願いをさっさと叶えて無限に続く旅を終わらせたいのだから、相手の都合なんて考えるはずもない。

まあ願いが叶わなくなるってだけだし、そういう意味では人畜無害なほうだろう。

仮に、もしも俺の同業者に遭遇してしまったなら。

特に願いをひとつだけに限定してくるタイプだったら、その理由や裏をよく探った方がいい。

何の疑いもなく追加の要求をするのは詐欺師に「どうぞ私をだましてください」と依頼するようなもんだからな。

「その願い、3つにしてください」

俺の説明を受けた細面(ほそおもて)の少女はベッドに身を横たえたまま、そう呟いた。

闇色の瞳を天井に向けたまま、消え入りそうに小さく。

しかし聞き間違えのないくらい、はっきりと。

「ひとつめの願いは、この世界のすべての人から私に関する記憶を失わせること。ふたつめは母さんと弟の幸福を未来永劫に渡って約束すること。最後に、わたしを殺すことです」

少女の抑揚のない語り口調が敢えてそうしているのか、そういう話し方しかできないのか。俺にもパッと見は判別できない。

そのくらい彼女の声には諦めの念が満ち満ちている。

「どうして、そんな願いを?」

「わたしは呪忌(のろいみ)の魔女です」

俺の好奇心から来る問いかけに、少女は初めて感情らしき響きを声に乗せた。

こちらが知ってる前提で話しているようだが、呪忌みの魔女という単語は初耳だ。

まあ、なんとなく察しはつくけども。

「わたしがこのまま生き続ければ、他の人々にも呪いが移ってしまいます。わたしがいなければ、父さんもあんなことにならないで済みました。わたしは、死ななくてはならないのです。ですが、わたしが死ねば家族は悲しみます。だからわたしのことを忘れて幸せに暮らしてほしいのです。わたしの願い、聞いてもらえますか?」

ふむ……。

儚げな雰囲気に飲み込まれて思わず「はい」と応えたくなってしまったが。

まずはセオリーに乗っ取って質問してみよう。

「その3つに願い事を増やすのがアンタの願いなんだな?」

「はい、紛れもなく」

それが本当であれば、この時点で願い事をゼロにすると代理誓約を立ててしまえば終わりにできる。

できるが、しかし……。

「仮に俺が願いを増やすことができたとして、今言った3つの願いを同時に叶えることはできないな」

「それは何故ですか?」

俺の解答に不満を訴えているつもりなのか、少女はわずかに首をこちらに傾けた。

「ひとつめの願いを叶えたら、アンタを愛する家族はアンタのことを忘れることになる。その時点で不幸なんだから、ふたつめの願いを叶えることはできないってことになるぜ?」

「それは詭弁でしょう?」

うん、そのとおり。

自分で言っててわかるレベルの詭弁だから、案の定切り返されてしまった。

「それが矛盾だから叶えられないと言うのでしたら、ふたつめの願いの内容はわたしがいなくても家族が幸福になれるように、で結構です」

願いの矛盾……その辺りは折り込み済みか。ここを攻めてもあんまり意味がなさそうだな。

「じゃあ白状すると願いを増やすのは無理だ。どれがひとつだけだな」

敢えて手の内をさらすと、少女は一度だけ大きく嘆息し、こちらに寝返りをうったかと思うと俺の目をまっすぐに見据えてきた。

「それなら、わたしを殺すだけで結構です」

もう聞くまでもない。

少女の願いは自分の存在をこの世から消し去ることで固定されている。

つまり、願いゼロの代理誓約は到底成立たないってことになる……が、さてさてどうするかな。

「何故ですか?」

「あぁん?」

俺がああでもないこうでもないと頭を掻いていると、少女が不思議そうに呟いた。

「あなたはわたしの願いを叶えるかどうかを迷っています。それは、何故ですか?」

ふぅん。

俺を願いを叶えるだけの機能と決めつけず、ちゃーんと動機に踏み込んでくるか。

……そんなもん、寝覚めが悪いからに決まってんだろ。

代理誓約を立てるとしたら俺が殺さないと誓うか、不老不死の薬で飲ませるだけでいい。

だけど、やりたくない仕事だからこそ自分が納得の行くやり方でしかやらないと決めてるんだ。

「要するにアンタがなんとかの魔女って奴じゃなくなればいいんだろ。それならアンタが死ぬ理由もなくなるし」

少女の質問に応えず、俺は消去法で残った解決法をぶつける。

「そんなこと、わたしは望んでない」

そう言う少女の瞳の中には悲しみも怒りもない。

これまでも様々な方法を試したのだろう。そしてダメだったから、出来るはずがないと決めつけているのだろうか。

それとも奪ったものと失ったものが大きすぎて、自分で自分を追い詰めてしまったのか。

生きたいとういう当たり前の願いすら、思い浮かべることができないほどに。

「知ってるよ。だからこれは俺が勝手にやるんだ」

願い事を増やすことはできない。

でもだからこそ、俺の願いを叶えても、次の世界に行くことはないのだ。

助かりたいと思ってほしいわけじゃない。

俺が助けたいと思っているだけだ。

とはいえ命だけ助けても、この子は自分を許すことができないだろうな。

俺の見てないところで死を選びそうだ。

そうなったら、なんとも後味の悪い結末だが……見届けることはできない。

俺のしようとしていることは無意味なんだろうか。

いっそ俺が殺してやったほうがいいのかな。

そんな迷いを抱えながらも、俺はいつもの習慣で鑑定眼を発動していた。

「あ……見ないでください」

こちらが何をしたのか察したのか、少女が毛布に身をくるんで縮こまった。

「えっ……」

視えたモノの正体に戦慄する。

自己嫌悪にも似た葛藤なんて瞬時に吹き飛んでしまった。

少女の全身からは高密度の汚泥の如き魔力が淀み、溢れ出さんとしている。

それはまるで原初の悪意を万色揃うまで掻き集めたマーブル模様の呪詛の坩堝。

宇宙すべての生命と魂の尊厳をとことんまで貶める負の概念の博覧会。

「は、はは」

あまりのことに乾いた笑いしか出てこない。

こんな展開が、有り得ていいのか?

「……これでわかったでしょう。わたしは死すべき存在なのです」

などと少女が自嘲しているが、それはどうだろう。

仮にこの子が死んだら溜まりたまった呪詛の泥が器の決壊をきっかけに洪水みたく溢れ出すんじゃなかろうか。

ぶっちゃけ世界……いや、宇宙のひとつくらいなら軽く滅ぶスケールだと思うがね。

って、悠長に分析してる場合じゃないぞ。

異世界やら宇宙がどうなるとか、そんなことはまったくもって重要じゃない。

「確かに。ここまで一体化してると、普通なら詰みだな」

自分の口がひとりでに動いているような錯覚を覚えながらも、俺の語りは止まらなかった。

単に呪いがかかっているだけっていうなら俺の解呪魔法で一発だった。でも今回は彼女自身が呪いの発生源というか存在が呪いそのものなので、そんなことをすれば彼女の望みを叶えてしまうことになる。

「でも、キミは本当に運がいい。いやね、むしろクズラッシュに巻き込まれてたのはキミに逢うためだったとすら思えてきたわ」

「い、いったい何を言って……」

俺の纏う気配の変化を敏感に感じ取ったのか、少女の肩がびくりと跳ねる。

「キミが抱いているモノの正体は呪いでも異世界魔法でもない。正真正銘の源理(チート)……呪詛同化だ」

呪詛同化は文字通り、呪いを吸収して一体となるチート能力だ。聞いただけだと一体どんな使い方があるんだと聞きたくなる能力だが、呪いや呪詛といった概念は非常に広範に及ぶため、意外と汎用性の高い能力である。

このチート能力の最大の特徴は、呪いが能力者自身を蝕むことはないということだ。何しろ呪い自体と同化するわけだからな。呪いを呪っても意味がない。

内に抱えた呪いの規模からして、おそらくこれまで彼女が周囲にもたらしてきた不幸は余波に過ぎない。たぶん転生者でありながら前世の記憶が戻らず、チート能力だけ不完全に覚醒した結果、この世界のなんとかの魔女とやらと同一視されてしまった……てな感じか。半分くらいは想像だけど。

まあ、経緯なんてホントどうでもいいんだよ。

今、目の前にある事実だけで充分。

「いやあ、本当によかったよ。キミをずっと食べてみたいと思ってたんだ」

「えっ……?」

聞き間違いと思ったのか、少女が不安げに見つめ返してくる。

「死にたいんだろ? だから願いを叶えてやるって言ったのさ」

優しく笑いかけながら、ゆらりと少女のベッドに近づいた。

すると。

「ひっ。や、やめて!」

意外なことに少女が転がるように後じさり、恐怖の叫び声をあげる。

それまで見せたことのない反応だった。

激しい動揺に身をよじり怯える少女の姿に思わず垂れそうになった涎を拭う。

これは事故だ。

俺は悪くない。

「堪忍しな、お嬢さん」

久方ぶりの高揚感のせいで、チンピラみたいな台詞が飛び出た。

そして素早く少女の痩身にまたがると、唇同士が触れ合いそうな距離にまで顔を近づける。

「い、いやあああああっ!!」

完全に押さえ込まれた少女がこれまでで一番大きな悲鳴をあげる。

嗜虐心に身を捧げたくなる衝動だけは何とかこらえる。

「部屋に結界を張った。これで叫んでも愛しの家族は誰ひとり助けに来ないぜ?」

「ち、違うんです! わたしが考えてたのは、こんなんじゃ……」

「おいおいおいおい! まさか苦しまずに逝きたいとか甘いこと考えてたんじゃねえだろうな?」

俺の挑発に少女がひたすらに首を横に振り続ける。

少女の死にたい、という切実な願いに嘘はなかった。それは間違いない。

この少女は知らなかっただけだ。

死ぬことと、殺されることの違い。

その埋めようのないほどの落差を。

「それでは初物、いただきまぁす!」

「きゃああああああああああああああああ!!!」

悲鳴を通り越して金切り声をあげ始めた少女の頭を、俺は丸飲みにするように鷲掴みにした。

「いやあ、ごちそうさまでした。久しぶりに食いでがあったぜ」

「ヒック、ヒック……」

しゃっくりを繰り返しながら半べそをかく少女に対し、ベッドに腰掛け食後のフェアチキタイムに勤しむ俺。

見ての通り少女を喰い殺してはいないし、性的な意味でも食べていない。

俺が喰ったのは彼女……と同化していた呪詛同化チートである。

「怖かった。ひどい。もうお嫁にいけない。悪鬼! この悪鬼!」

泣きじゃくる少女にかける言葉が見つからない。

正直すまんかった。誠に申し訳ない。

「本当に、本当にあんな方法しかなかったんですか!?」

「あー、うん。なかったんじゃないかな。キミ自身とも言える呪詛同化を喰うには、キミの精神を屈服させないといけなかったから」

少女の念を押すような詰問に俺はマゼラン海溝よりも深く反省しながら、息をするように嘘を吐く。

俺の持つ強奪チートの発動条件は触れるだけだ。

ちなみに今更言うまでもない……ことと思うが、強奪チートは他者のチート能力を奪う能力だ。

自己弁護しておくと嘘は半分だけだぞ。対象を屈服させた方が能力発動がやりやすい気がするからな。

気がするだけかよと総ツッコミを受けそうだが、チート能力の制御において気分というのは案外バカにならない。油断して失敗したくないときに念を入れるのは当然の用心と言える。

それとも少女が怖がるのを見て興奮しちゃった、などという不純な動機が俺にあったとでも?

あろうはずがございません。

そしてそして!

ねんがんの呪詛同化を手に入れたぞ!

大昔に一度だけ見かけて是非欲しいなと思ってたんだけど、以来まったくお目にかかれなかった激レアチートだ。

最近じゃこれっぽっちも期待してなかったから発見と同時にうっかりハッスルしちゃったよ。おかげでこの子に余計なトラウマを植え付けちまった。

しかしまあ、これで今まで体の中に蓄えるだけで使い道のなかった数多の呪詛のレパートリーを利用した極悪チートコンボをぶちかませる。

使うのが楽しみだなぁ、きひひひ。

っとと、そろそろこの子をフォローしてやらんと。

「ところで、今でも死にたい?」

「うう……わかってるくせに」

少女が不満を表明するように毛布を深く被り直した。

あれほど恐怖を味わったんだ。十代そこらの女の子の抱いた覚悟なんざ跡形もなく吹き飛んだろう。

死にたいとか抜かす奴に限って、本気で死にたいなんて思ってない。俺すらそうだった。ああいうのってどうしようもない理由とか何かがあって、仕方なくとか何となくで死を選ぶだけなんだよな。

「そもそもキミはもう魔女じゃない。死ななきゃいけない理由はなくなった。でも、もしキミを魔女だと認識している連中の記憶をいじってほしい、というならそうしよう。どうする?」

「それはその……困る」

だろうね。

死ななきゃいけないなんて思い詰た時点で抱く願いなんて、ただの未練だ。

残される家族のことを案じただけで、忘れられることを望んでいたはずがない。

「そもそもキミほど賢い子ならわかってるだろ。キミが魔女であること、魔女だった過去も罪も全部ひっくるめて自分自身だったって。そういう意味じゃ俺が喰ったのは間違いなくキミの一部だったってことになるけどさ」

例え魔女だと謗られたのが辛い記憶だったとしても、自分なりに受け入れていたのなら、なかったことにしたくはなかろう。

俺もそうだしな。

「それにキミの本当の願いであろう家族の幸福を確約しろなんて願い、俺に叶えられるはずはないんだよ。それができるのは……」

俺がそのセリフを言い切ることはなかった。

俺の口を少女が後ろから抱きつくようにして両手で塞いだからだ。

俺を召還してから一度もベッドから這い出ようとしなかった少女が、初めて自分の意志で起きあがっていた。

その華奢で棒きれのような手に優しく触れると、少女が俺の口をゆっくりと解放する。

「おはよう。悪夢は醒めたか?」

「……ええ。悔しいけど、おかげさまで」

カーテンの締め切られた窓の合間から、わずかな光が部屋に差し込む。

長い長い夜が、明けた。

「……えーっと、それで。今の願いが何かわかるまでは家事手伝いをするってことになったの?」

イツナがベッドのシーツを取り込みながら、呆れたように目を丸くする。

「うん、なんかそう言われたよ」

がっくりと項垂れつつ、俺は大きくため息を吐いた。

先に種明かししてしまうと本来の計画は少女の願いをゼロにして次に進む、というものだった。

誓約者が願いを破棄すれば次の異世界に行けるのはご存じの通り。代理誓約で願いゼロを達成できないなら、願いをなくして誓約を取り消してしまえばいい。

ガキども相手に使った手だ。

しかし、最後の最後で少女の方が一枚上手だったらしい。

いつまで経っても召喚されない状況に痺れを切らし、改めて少女に願いを聞いてみると。

「わたしを怖がらせた責任、ちゃんと取ってください」

と、にっこり笑い返され、1週間。今に至るというわけだ。

どうも一連の出来事で願いが上書きされてしまったらしい。

ちなみに例の3つの願いの代理誓約は全部弾かれちゃいました。南無三!

「そういえばサカハギさんってテレパシーみたいので人の心とか読んだりしないんだね。お願いとかわかりそうなのに」

取り込んだ洗濯物を静電気を使って器用にくっつけながら、イツナが唐突に聞いてきた。

「あんなもん、大してアテにならねぇよ」

実際、そうやって誓約者とコミュニケーションせずに無言で願いを叶えていた時代もある。

それによって得たのは、口に出さない願いなんて本物かどうかわかりゃしないって教訓だけだった。

自分の耳で聞いて初めて本当の願いを自覚する、なんて奴もいるぐらいなのにな。思えば無駄な時間を過ごした。

だからこそ俺は問う。

それが本当の願いなのか、と。

「あはは。サカハギさんも疲れてるみたいだし、ちょっとぐらい休んでもいいんじゃないかな?」

俺の気を知ってか知らずか、イツナが折りたたんだ洗濯物を抱えながら太陽のように笑う。

その台詞、事情を全部知ってるイツナじゃなかったらイラッとするところだ。

「終わったぞー」

「あ、お疲れさまです。じゃあ、次はお買い物に行きましょうね」

家に戻って成果を報告すると、少女は笑顔でお願いを追加してくる。

「へいへい」

俺のやる気のない返事は無視し、少女がイツナの手を取った。

「イツナさんも一緒に行きましょう」

「うん、いいよぉ」

やれやれ。

歳が近いからって、あっさり仲良くなりやがって。

「こりゃ長引きそうだなぁ」

などと愚痴りつつも、少女たちの笑顔を見ていたら、こういうのも悪くないと思ってしまう。

もちろん口に出すわけにはいかない。

それこそミイラ取りがミイラになる。

家を出て、そんなどうでもいい思索に耽りながら足早に進んでいると、ふと少女がついてきてないことに気づいた。

振り返ると少女が見送る家族に手を振っている。

「サカハギさん、どうしたの?」

絵に描いたような光景をぼーっと眺めていた俺の顔を、イツナが不思議そうに覗き込んだ。

「ああ。ちょっとな。世界平和について考えてた」

「はは! なにそれー」

俺のクソつまらない冗談にイツナが笑う。

置いてけぼりに気づいた少女が慌てて駆けてきた。

ああ、そうだなイツナ。

次の世界に進めないことも今だけは忘れよう。

激レアの御馳走を腹いっぱい食べられたのも、只のオマケだ。

心からの謝罪と祝福を送ろう。

キミの願いを踏みにじって、本当に良かった。

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